学習指導要領や教科書から見る。教育の歴史【新しい学力観】
こんにちは。JAPANくんです。
さてさて、今回も日本の教育の歴史についてみて行きましょう。
もう少しでコンプリートです。あとちょっとだけおつきあいいただければと思います。
戦後、日本の学習指導要領は大きくわけて8回大きな改定がありました。
ちなみに学習指導要領とは?(文部科学省HPより)
全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようにするため、文部科学省では、学校教育法等に基づき、各学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を定めています。 これを「学習指導要領」といいます。
つまり地域による教育内容にバラツキが出ないように、国が定めたカリキュラムで、約10年に1回改定されます。
前回の内容をご覧になっていない方はこちらをご覧ください。
今回は、『新しい学力観』が出てきた時代の教育内容について見て行きましょう。
1989年ごろの新しい学力観の時代は、コンピューターが世の中に出てくるようになってきて、時代の変化が大きくなっていくことが予想されていました。
そのために、柔軟に考えられるように『課題学習』みたいなかんじで、教科書の後ろの方に、数学を使った課題解決のページがつくようになり始めます。
授業時間は、1つ前の『基礎基本の時代』から減ってませんが、理科が大幅にさらに減らされることなりました。
このころから『理科離れ』という言葉が出てくることになります。
なんでも、変化に対してネガティヴな反応をする人はいつの時代もいるのですね…
現場の先生もがんばったにもかかわらず新しいコンピュータのことや新しい時代の価値観が教えきれないことが問題となりした。
次回に続きます。